小説「光の物語」第72話 〜新天地 6〜

小説「光の物語」第72話 〜新天地 6〜

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新天地 6

「マティアスからの報告によると、ベーレンス領の混乱は思ったほどではないようだ」
ディアルは書斎でアルメリーアに語りかける。
「まあ、よかったこと」
「ただ、別の懸念はあるようでね」
「別の・・・?」
「ブルゲンフェルトだ。山あいの湖の先が国境だが、ここの守りをどうするかだな。平時に近隣住民が行き来するのは目をつぶるにしても・・・」
アルメリーアは小さく頷きながら聞く。
「ここを大軍が通るのはまず無理だが、水場欲しさに小競り合いを仕掛けてくることはありうる。あの貪欲な国のことだからな」
ディアルは地図を見ながら呟いた。


「ブルゲンフェルトには私の姉も嫁いでいますわ。王の甥ご様に・・・」
久しく会っていない姉を思い、アルメリーアは口にする。
彼女には四人の姉がおり、うち三番目の姉がかの国に嫁いでいた。
「私の従姉妹もだ。最近また国内が荒れているようだね」
「まあ、本当に?」彼女は眉をひそめた。「あまりに大きな国だからかしら。広大な国土と海と・・・」
「海、か」ディアルは小さく笑った。「永遠の憧れだな」
ローゼンベルクもリーヴェニアも四方を大国に囲まれた内陸国であり、一度も海を見ずに生涯を終えるものも多かった。


「あなたは・・・海を見たことがおあり?」
「ああ。何年か前にマティアスと諸国を外遊したときに。きみは?」
アルメリーアは残念そうな笑みで首を横に振った。
「不思議で素晴らしい眺めだったよ。青い水がどこまでも広がっていて・・・それ以外は何もないんだ。木も建物も対岸も」
思い出すと今でも新鮮な感動を覚える。
「あるのは水平線だけだ。その先の世界を思うとわくわくしたね」
そう言って小さく笑った。


「海のある国にしたいとお思い?」
アルメリーアは尋ねた。
「つまり他国に侵攻するということか?」ディアルは意外そうに答えた。「我が国とっては無意味でしかないよ。どこに攻め入っても、その隙に別の国から攻め込まれるのが落ちさ」
「父もよくそう言っていましたわ。均衡を保つことが生き延びる道だと」
「義父上は正しいよ。均衡を保たせるんだ。奪わず、奪わせず」彼女の頬を手でなぞる。「大国に囲まれた国の処世術だな」


話がそれたと思い、ディアルは再び地図に目を落とした。
アルメリーアの唇は過去の記憶をひとりでにつむぎ出す。「姉は・・・ブルゲンフェルトに嫁ぐと決まってとても喜んでいましたわ。海のある大国だと・・・」
「へえ?」妻の話の行き先がわからずディアルはただそう言った。
「母も・・・とても喜んでいました。母はブルゲンフェルトの出身で・・・姉と母は、とても似ているのです・・・」
彼女はそれきりよそを向いて口をつぐんだ。


彼女の様子に彼は違和感を覚える。一体どうしたというのだ?
「きみも海のある大国に嫁ぎたかった?」
妻の意識を向けさせるため、わざと音を立てて地図を動かす。
彼女はふと我にかえり、視線を合わせて微笑んだ。「まさか」
「本当かな?なんだかいわくありげだぞ」地図を顔の前に持ち上げて目だけを覗かせる。
「もう・・・」
彼女はわがままな子供をあやすような笑顔になった。


地図に手を伸ばして下ろさせようとするが、彼は体をそらしてうまく避ける。
「お顔を見せて。そんなわけないでしょう?仕方のない方ね」
「本当に?」
「本当に」彼女は自分の椅子を離れて夫の膝に座り、彼の頬を両手で包んだ。「私は、海よりも湖の方がずっと好きだわ」
「それを聞いて心の底から安心したよ」
妻の腰に腕を回して軽く唇を合わせ、あらためて地図を開いた。
「さて、シエーヌの湖だが・・・」