小説「光の物語」第86話 〜晴明 5〜

小説「光の物語」第86話 〜晴明 5〜

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晴明 5

「踊りが上手ですね」
ダンスを初めてしばらくした頃マティアスが言った。
「え、そんなこと・・・」ナターリエは頬を染めた。「ダンスは苦手なんです。いつも緊張してしまって」
「そんな必要はありませんよ。自慢していいくらいです」
彼女をくるりと回しながらマティアスは請け負った。


「おや、これはあいつの仕業ですか?」
ナターリエの手の甲の、猫がつけた小さな引っかき傷を見てマティアスは尋ねる。彼の腕にも同じような傷が残っていたからだ。
「ええ」ナターリエは小さく笑った。「名前がついたんですのよ。今は、オスカーと呼んでいますの」
「オスカーですか」マティアスも笑う。「あのわがまま猫が出世したものだ」
「修道院の子どもたちもみんな可愛がっていますわ。あの子を連れてきてくださってありがとうございます」
その言葉にマティアスは満足げに微笑んだ。


マティアスはしばらくオスカーの振る舞いを話題にする。
撫でさせておいて飽きたら怒り出すことや、書き物の上に陣取って邪魔すること、それに何と言っても夜中にドアをノックして叩き起こすこと・・・。
ナターリエにも覚えのある話ばかりで、彼女は笑いが止まらなかった。
彼といると楽しいし、自分がうまく踊れるようにも感じられる。


「王子ご夫妻はあなたを気にかけているようですね」
「ええ・・・妃殿下は少しづつ社交に出てはどうかと」ナターリエの表情がかすかに曇る。「お相手のことはお任せするとお伝えしたのですが、それではいけないとおっしゃって」
「それはそうでしょうな」
人任せでいい結婚などできるものではないし、アルメリーアは彼女に家格が釣り合うだけの縁組などさせたくはあるまい。
「無理することはありませんよ。急げばうまくいくというものでもない」
混んだフロアを巧みに縫って彼は進んだ。


「でも私には、妃殿下やクリスティーネ様のようにはとても・・・」ナターリエは不安を口にする。「一人で舞い上がって・・・皆様にご心配をおかけして、家宝まで投げ出してしまって・・・」
家宝というのは彼女がゲオルグに与えたブローチのことを言っているのだろう。耳飾りは出てきたが、そちらは見つからずじまいだった。
「情けないことです。自分が恥ずかしいですわ・・・」ナターリエは悲しげに俯いた。


「恥ずべきなのは彼の方ですよ。あなたはただ、人間らしかっただけだ」
マティアスには当時の彼女の心境を察することができた。耐え難い寂しさ、親密さへの憧れ、なにかにすべてを賭けたい衝動。
ナターリエと同じように、寒々しい家庭で育ったマティアスにとっても亡き恋人は救いだった。
ただマティアスは運よく優しい恋人に出会ったが、ナターリエはそうではなかった。

「今のあなたは安全なところにいるのです。一か八かに賭けたりせず、慎重に選べばいい」
マティアスの言葉はナターリエの胸にしみいった。
他の誰にも理解されないことも、彼だけは理解してくれる気がする。


「私、見当もつきません。どんな方を選べばいいのか・・・」
ナターリエは涙混じりの声でつぶやき、マティアスは彼女の背に当てた手に少しだけ力を込めた。
音楽とともに彼女を引き寄せてターンする。


「あなたを大切にする男ですよ。太陽の下で堂々と」
一体どの口が言うのか、とマティアスは内心自嘲する。
自分は恋人を陽のあたる場所に連れ出すことはできなかった。
人目を忍んだ慌ただしい逢瀬、密かにやりとりした手紙、運命の転変、死・・・それが自分が彼女に与えたものだ。
マティアスの目は翳り、意識は彼女を失った頃に引き戻された。


ナターリエはマティアスの様子に違和感を感じた。彼がいまここでなく、どこか違うところに行ってしまっているような・・・。
「堂々と・・・?」
彼女はかすれた小声で尋ねる。
「・・・そうです。太陽の下でも、月の下でも」
彼の顔からはいつもの笑みが消え、彼女に向けた目は恐ろしいほど真剣だった。ナターリエはめまいを覚えた。音楽と動きと彼の瞳とに・・・。


そのときふいに音楽が止み、広間の照明が消えた。