小説「光の物語」番外編 追想

小説「光の物語」番外編 追想

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番外編 追想

ナターリエを修道院へ送り届け、王城の自室に戻ったマティアスは小さく息をついた。


せわしない日だった。
ナターリエを聖堂へエスコートし、祝宴ではディアルにあれこれ聞かれるし、その後は・・・。
襟元をゆるめ、一日の間の出来事を思い出す。


今朝彼女を迎えに行った時、初めて見る盛装した姿にマティアスは目を奪われた。
いつも暗い色のドレスを着ていたが、今日は薄い黄色の可憐な礼装。
彼がかけた賞賛の言葉に彼女は恥ずかしそうに微笑んだ。


別れ際の彼女は名残惜しげだった。
薄暗い夜の修道院でマティアスを見送っていた様子。
数本の蝋燭を背にして立っていた彼女は儚げで、しかし少しの希望が胸に兆しているように見えた。
自分の可能性を信じるという希望が。


だとしたら何よりだ。
彼女が力を取り戻し、良き伴侶を得て良き領主となること。それが国王とディアルの望みであり、自分の望みでもある。
それが達成されれば自分はシエーヌ管理者の役割を終え、またもとの暮らしに戻る。


それでいいはずだ。
マティアスは窓の外を見ながらそう考えた。


祝宴のダンスの際、ナターリエに余計な感傷を見せてしまった気がする。
亡き恋人を思う時、今でも彼の時間は一気に過去に引き戻される。
そして彼女を守れなかったという思いに囚われ、そこから一歩も動けなくなってしまうのだ。


セシリア。
ふたつ年上の彼の恋人。
今の自分は彼女の歳をもうとっくに追い越してしまった。
彼女はもう歳を取らない。話すことも笑うこともない。
優しく愛情深い彼女の言葉が、手紙となって彼に届くことももうない。

もし彼女が病で亡くなっただけなら、辛くてもまだ受け止められたかもしれない。

しかし彼女は彼の留守に知らない男に嫁がされてしまった。
彼との仲を知った両親に仕組まれて。
ディアルと共に外遊していた彼は知る由もなく、初めて見る土地や海に夢中になっていた。


彼女は求めただろう、彼の助けを・・・逃れるすべもないままに。
汚い思惑に翻弄され、あの優しくて繊細な彼女はどんなに打ちのめされただろう。
自分と関わらなければ彼女がそんな目に遭うことはなかった。
それを思うとマティアスの意識は暗い自責の中で止まってしまうのだ。


「セシリア・・・」
窓の外の灯りを見ながら呟いた。
しかしその後に続けるべき言葉を彼には見つけられない。
過去を想う時、いまも彼の心は悔恨で塗りつぶされる。
しかし今日のナターリエは記憶にも感覚にも残り、終わりのない暗闇に一隅の明かりを灯すのだった。




「ご友人はいかがでいらっしゃいました?」
婚礼から戻ったナターリエの部屋でアーベルが尋ねる。
「とてもお綺麗でしたわ。お幸せそうで・・・」
ナターリエは答えるが、その顔や目には泣いた痕跡がうっすら残っていた。


「ご友人の晴れ姿に感動なさいましたか?」
ナターリエの目のあたりにそっと触れながら優しく尋ねる。
彼女は小さく苦笑し、アーベルの腕に手をかけた。
「少し、いろいろ思い出してしまって・・・」


アーベルは彼女の心情を思いやった。
華やかな祝いの場は過去を想起させるきっかけにもなりうる。
外を楽しむ契機になればと思ったが、逆効果だっただろうか・・・。


「でも、マティアス様が助けてくださいました」ナターリエは小声で言葉を継いだ。「あの方はお優しい方です。ほんとうに・・・」
ナターリエの言葉に滲む信頼にアーベルもほっとする。
「ええ、あの方は優しいいたずらっ子ですよ。とても情の深い・・・」
ナターリエの背に手を当てる。
「マティアス様とご一緒でよろしゅうございました。今度お礼をお伝えしなくてはね」


その時足元に白猫のオスカーが尻尾を立てて現れ、ナターリエの足にぐいと体をこすりつけた。
「そうね、おまえにも感謝しないとね。もとはおまえが発端なんだから」
アーベルの言葉にナターリエは笑い、オスカーを抱き上げて頬をすりよせた。




自分の部屋に戻ったアーベルはナターリエを送ってきた時のマティアスを思い返していた。
ナターリエを優しく気遣い、軽口を叩いて笑わせ、体に気を付けるようにと告げていた。
どこから見ても折り目正しいエスコート役そのものだったが・・・。


宮廷で大勢の男女を見てきたアーベルにはおやと思わせるものがあった。
ナターリエを見る彼の眼差しや、手をとって導く仕草、そして階段を上がっていく彼女をじっと見送る姿に・・・。


「シエーヌに戻るのはもっと後にされては?」と言いそうになったが、さすがに出過ぎたことだ。
アーベルは恋人を亡くした時のマティアスの悲嘆をいまもよく覚えている。
彼女の後を追うのではないかとしばらく気が気ではなかったことを。


今でもマティアスは恋人を思っている。
彼女を守れなかったと悔やんでいる。
だがそんな彼だからこそ、幸せになってくれることを願わずにはいられない。


「ヘレーネ様・・・」
先の王妃であり、自身が育て上げた天国にいる女性にアーベルは語りかける。
「あの子をお導きください。あなた様のもう一人の息子を」
へレーネがマティアスを我が子同然に慈しんだことを思い、アーベルは心から祈った。




寝室のナターリエは今日という日を思い返していた。
迎えにきたマティアスがいつも通り素敵だったこと、盛装した自分を見て瞳を輝かせたこと、とても綺麗だと言ってくれたこと、上手にダンスを踊らせ、笑わせてくれたこと・・・。
何より涙をこらえきれなかった自分を抱きしめ、優しく慰めてくれたことを。


あのような席で感情を抑えきれなくなるなど、以前の自分なら考えられないことだ。
そんなことをしようものなら母から恐ろしい叱責を浴びせられ、その後何日も非難の言葉を聞かされただろう。
どうしておまえはそうなのか、他の令嬢たちのようにうまく立ち回れないのか、頭も悪く気も弱いおまえに母は悩まされっぱなしだと。
何の取り柄もないのなら、せめて息子に生まれてくれればよかったのにと。
そうして自分は自分の失態を恥じ、責め続けたことだろう。


母を思うと彼女の心は暗い渦に引き込まれる。
息もできず逃げ場もない墓場のような場所へと。


寝台に腰掛けた彼女の横にオスカーが寝転び、撫でろと催促する。
ナターリエは小さく笑い声をもらし、白い毛に覆われたあたたかいお腹を撫でてやる。
「かわいい子」甘やかすように話しかけながらマティアスを思う。「きっとあの方もあなたを恋しがるわ」


やがて撫でられるのに飽きたオスカーは彼女の手を逃れ、上かけの布団を掘り始める。
「あなたって子は」
ナターリエは笑い、かたわらに置いていたハンカチを手に取った。


涙を拭くためマティアスが彼女に手渡したものだ。
それをそっと胸に当て、素晴らしい女性だというマティアスの言葉を思い出す。
「あの方の言葉のほうを信じたいわ・・・」
ナターリエは小さくつぶやいた。
「それでもいいのよね?」
そうオスカーに尋ねると、ひげの生えた猫の口元は笑っているように見えた。