番外編 午睡

番外編 午睡

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番外編 午睡

国王グスタフは夢を見ていた。
数年前に逝った妻の夢。
彼女の美しい髪が、白く優しい手が間近に現れる。
懐かしい声で彼を呼びながら・・・。


「へレーネ」
たおやかな指に指をからめ、久しく離れ離れの妻の名を呼んだ。
夢の中の彼女は彼に寄り添い、慰めてくれる。
二人だけの呼び名で彼を呼んでくれる。


ともに過ごした風景がよみがえっては消えていく。
あの湖畔、あの森・・・妻と支え合ってきた光あふれる日々。
彼女といるときだけはありのままの自分でいられた。
少年の頃に出会った活発で美しい妻。


彼女がいる世界に戻りたい。
そしてもう永遠に離れずに・・・。


夢は静かに去り、国王はひとり寝台で目覚める。
もう慣れてしまった寂しさと、久しぶりに感じた妻の気配とに彼は深く息を吐いた。
「・・・」
腹部に鈍い痛みが走り、手を当てて落ち着くのを待つ。
しばらく前から抱えるこの痛みはだんだん強くなるようだ。



「まあ、陛下・・・」
満開の藤棚を見ていた国王に、ちょうど温室から出てきた王子妃が近づいてくる。
「アルメリーア。花を世話していたのか?」
微笑んで頷く義理の娘に国王も笑みを返す。
隣国の王女である彼女と息子ディアルの睦まじさは、父としても国王としてもきわめて喜ばしいことだった。
あとは世継ぎが生まれれば・・・。


ゆっくりと藤棚に視線を戻す。
「王妃はこの花が好きでな。春にはよく一緒に眺めたものだ」
「ええ、殿下からそう伺いましたわ。ご家族にもマティアス様にも思い出の花だと」
国王は赤ん坊だったディアルを抱いてここに来たことを思い出す。
長く子宝に恵まれなかった国王夫妻にとっても、国にとっても待望の第一子だった。
母親になったへレーネの心底幸せそうな顔。
そしてその後に家族に加わった甥のマティアス・・・。


「マティアスには・・・いまも藤の花だけだろうか?」
あの甥がここで泣いたこともあった・・・亡き恋人との思い出のために。
あれはへレーネが逝った年。
号泣するあの子を抱き寄せて涙が枯れるまで泣かせたものだ。
愛するものを失った同士、咲き誇る花の下で。


国王の呟きにアルメリーアははっとするが、どうとも答えようがなかった。
「それは・・・でも、殿下はマティアス様をいつも気にかけておいでですわ。他の花にも心を向けてくださればと・・・」
「そうか」
国王は小さく頷いて続けた。
「ディアルのことだ。きっと身も蓋もない物言いで励ましているのだろうな」
その言葉にアルメリーアは鈴のような笑い声を立てた。



「妃殿下」
しばらくのち、女官たちと藤棚を見ていたアルメリーアにマティアスが声をかけてきた。
「まあ、マティアス様。つい今しがたまで陛下がおいででしたのよ」
「さようでしたか」
「藤の花を見にいらしたの?」
マティアスはいつもの笑顔で頷く。社交的な、でもどこか寂しそうな・・・。


アルメリーアは我知らずベンチから立ちあがり、マティアスと並んで花下を歩き出した。
「そろそろ会議も終わりそうだとか」
「ええ。近いうちまたシエーヌに戻ります」
「そう・・・あなたがいてくださってシエーヌの人々も頼もしいでしょう」
その言葉にマティアスは「光栄です」と頭を下げる。


「大切にお守りの土地ですもの。きっと愛着もお生まれでしょうね」
「私はあくまで仮の存在。ナターリエ嬢が戻るまで管理するのが務めです」
「あなたのおかげでナターリエも随分成長しましたわ。あとはふさわしい出会いがあれば・・・」
「・・・ええ、そうなることを願います」
マティアスの声音にアルメリーアはいわく言いがたいものを感じる。
ここ最近の様子からしても、彼もナターリエを思っているのだろうに・・・。


「・・・手をかけた花が美しく咲くのは幸せなことですわ」
彼女は藤の花からマティアスに視線を移した。
「あなたが守り育てた花に、お気持ちはお生まれにならない?」
その意味を察しないマティアスではなかったが、つとめて何気ないふうに答えた。
「・・・私にできるのは花壇を作るところまで。じかに触れればたちまち枯らしてしまいます」


その言葉にアルメリーアは歩みをとめた。
「あの子を愛しておいでなのね」
心打たれた様子の彼女にマティアスは笑みを崩さず答えた。
「花の話ですよ、妃殿下・・・花の話です」
そんな彼にそれ以上言えることもなく、アルメリーアは切ない思いで盛りの花に目を向けた。



「父上」
部屋に引き上げる途中、国王は外から戻ってきたディアルと出会う。
「軍工廠の視察か。様子はどうであった?」
「流行病の影響もあり、部品の供給に少し遅れが・・・」
報告を続ける息子の面差しに亡き妻が重なり、国王の心に懐かしさが押し寄せる。


あのおてんばな少女は美しく成長し、自分の妻となり子供を産んでくれた。
我が息子ながら優れた、しかも実に面白い子だ。
途方もないのに的を得た発言をするところがあり、幼い頃から大笑いさせられたものだ。
この気質もきっとへレーネ譲りだな・・・国王はそう考える。


「父上?どうかなさいましたか?」
上の空の国王にディアルが声をかける。
「・・・いや、なんでもない。工廠の件はその調子で進めてくれ」
国王は息子を励ましてその場を後にした。


部屋に戻った国王はバルコニーに出、眼下に広がる庭園を眺める。
息子夫婦が今後も睦まじくあることと、マティアスが幸せに出会うことを願う。
いつか夢でしか会えぬ日が来るのだ・・・それが夫婦であれ、親子であれ。
だがだからこそ、それまでの日々を悔いのないよう生きてほしい。


ふたたび腹に痛みを覚え、国王は思わず息を呑む。
「へレーネ・・・」
痛む腹を押さえて妻の名を呼んだ。
「もう、すぐに会えるかもしれぬな・・・」
豪奢な居室のバルコニーに一人たたずみ、国王はそう呟いた。