小説「光の物語」第150話 〜転変 6 〜

小説「光の物語」第150話 〜転変 6 〜

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転変 6

その日王城に現れたナターリエは、深い緑色のドレスに身を包んでいた。
高雅なベルベットの布地は彼女の肌の色を引き立て、若き女伯爵にふさわしい気品を与えていた。
「ナターリエ、すこし久しぶりね・・・元気にしていたかしら?」
彼女に声を掛けるアルメリーアは、しかし内心意外な心持ちでいた。
それというのも、この日のナターリエはアルメリーアに謁見を申し入れて参上していたからだ。
なにか改まった話でもあるのだろうか・・・。


「妃殿下」
恭しく礼をしてナターリエは話を切り出す。
「今日お伺いしたのは、妃殿下にお願いするためですの・・・できるだけ早く身を固めたく思いますので、お仲立ちを頂ければと・・・」
その言葉にアルメリーアははっとするが、ナターリエは落ち着いた声で続ける。
「今の状況を思えば、私は早々にシエーヌに戻らねばなりません。きっとみなが不安がっていますもの。隣国が国境を超えてくるのではと・・・」
そう語るナターリエの瞳には、故郷の人々への思いが強く現れていた。


「ナターリエ・・・故郷を案じるあなたの気持ちはよくわかるわ。でもあまり焦っては・・・」
ナターリエは王子妃の思いやりに感謝の笑みを浮かべる。
「ええ、結婚までは難しくとも、せめて婚約なりと整えて・・・」
ナターリエは決意を込めた声で言葉を継ぐ。
「もう二年近くも留守にしてしまっているのですもの。こんな時だからこそ、皆とともにいなくては・・・」


ナターリエの思いは固いようだ。
説得しようとするのはやめ、アルメリーアは問うてみる。
「・・・どなたか、これという方がいるの?」
「いいえ・・・でも、テレーザとも話して・・・」
テレーザになにくれとなく相談できる心強さを思い出し、ナターリエの表情は少しだけ和らいだ。
「私が心やすく一緒に過ごせるのは、きっと静かな方かと思いますの。学問や本のことを語り合えるような・・・」
確かにナターリエにはそうした人物が合いそうではある。
だが・・・と、アルメリーアは思わずにはいられない。



「余計なことかもしれないけれど・・・マティアス様は・・・?」
その名前にナターリエはぴくりとする。
「このところのあなたたちを見ていて、もしかしたらと思っていたのよ。あなたはあの方を・・・それにあの方も・・・」
「いいえ・・・」
そっと首を振るナターリエの腕にアルメリーアは優しく触れる。
「本当に・・・?」


「・・・あの方にとっては予想外でしかなかったのです・・・私、何も知らなくて・・・」
ぽつりと言うナターリエにアルメリーアの胸は痛む。
ではナターリエは気持ちを伝えたのだ。そしてマティアスは拒絶した・・・?
危ぶむアルメリーアだが、ナターリエの話は静かに続く。


「テレーザから聞きました。あの方が昔、とても辛い目に遭われたこと・・・それなのにあんなにお優しくて、信じられないくらい思いやりがあって・・・」
マティアスを語るナターリエの眼差しには隠しようもない思慕が溢れ、その色はアルメリーアの心にも迫る。
そうか・・・ナターリエはマティアスの過去を知ったのだ。彼の生い立ち、心に抱える傷・・・。


「あの方はいつも私を助けてくださいました。何もわからない私を笑ったりせず、必要なことを教え、励ましてくださいました。どんなに感謝しているか・・・」
声を震わせるナターリエをアルメリーアは静かに見守り、その言葉に耳を傾ける。


「私はずっと自分を恥じていました。両親の望むような娘になれず、人とうまく関われず・・・。
両親が気に入る方と結婚し、後継ぎの男の子を産む・・・そうすればきっと両親も役立たずの私を許してくれると、そう思ってきたのです」
そこで言葉を切り、控えめに息をついて続ける。
「でも、自分が良い方と出会えるとは思えなくて、何もかも恐ろしく思えて・・・」


両親に虐げられてきた彼女がそう感じていたのは、無理からぬことだとアルメリーアは思う。
ベーレンス夫妻にとって娘は道具でしかなく、彼女の幸不幸など歯牙にも掛けはしない・・・むしろ不幸を喜びすらしたかもしれない。
ナターリエも心のどこかでそれを察知していたのだ。



「この世は恐ろしいところで、私は全てに役不足で・・・辛くて怖くてたまらない、人生なんて早く終わってほしい・・・そんなふうにすら思っていました」
あまりに悲しい言葉にアルメリーアは思わず嘆息をもらす。
静かに過ごし、パトリック少年の勉強を手伝ってやっていたあの頃のナターリエが、そんな思いを抱いていたとは・・・。


「でも、マティアス様に出会えました・・・それに、あの方のおかげでテレーザやアーベル様にも、修道院の皆にも。
あの方のおかげで思えるようになったのです、時には辛いことがあっても、この世は決してそれだけのところではないと・・・」
こらえきれない涙がとうとうナターリエの目からこぼれ落ちる。
だが、その涙はとても美しいものだとアルメリーアには思えた。
「あの方は本当に素晴らしい方です。あの方に出会えただけで、もう私は十分です・・・。あんな素晴らしい方がいるこの世です。きっとまた素敵なこともありますわ・・・」


涙しながら語るナターリエには、しかし何か清々しいものが感じられた。
ナターリエは失恋したかもしれないが、ゲオルグの時とは違い、その事実は彼女を損ないはしないようだ。
むしろマティアスへの思いを宝とし、彼女なりに見据えた未来に進もうとしている。
もしかしたらテレーザがその助けになったのかもしれない。
マティアスが彼女につけてやったテレーザ・・・。


藤棚でのマティアスの言葉をアルメリーアは思い出す。
彼にできるのは花壇を作るところまでだと・・・。
これが本当に彼の望みなのだろうか?
ナターリエを立ち直らせて誰かに嫁がせ、彼自身はひとり孤独に生きることが?


うまく噛み合わぬ人の世を思い、アルメリーアも泣きたいような気持ちになる。
彼女はナターリエに近づき、静かな涙を流す乙女をそっと抱きしめた。