「アンゼルム公は亡命こそ拒みましたが、ブルゲンフェルト南部の都市ノルンに移ることには同意したそうです」
隣国へ送った救出の使者からの報告をディアルは父王に知らせる。
「外国からの情報に接したことで、状況の危険さを認識した様子」
息子の言葉に国王グスタフは小さく頷いた。
先の王太子亡き後、新たに隣国の王太子となった第二王子は暗愚と評判だった。
前王太子の信奉者はいまだ収まらず、対抗馬を担ぎ出そうと躍起になっている。
国王の甥であるアンゼルム公はそうした一派の旗印されうるし、それを警戒する隣国王に粛清されることもあり得た。
ただでさえ歯止めが効かない隣国王だけに、わずかな疑念も命取りなのだ。
「はじめのうち公は宮廷を離れることを断固拒否していたそうです。求心力の低下や、権力闘争からの後退を危惧して・・・」
だがディアルからの使者と、なにより公妃であるディアルの従姉妹・ミーネの働きかけが奏功した。
妻であり母である彼女には、栄達などより家族の命が何よりも大事だった。
二人は連日の大げんかを繰り広げたが、最終的には公も妥協した。
表向きは体の弱い次男の保養ということにし、一家はブルゲンフェルト南部の都市・ノルンへと移った。
ノルンはローゼンベルクや東の隣国ガンツとの国境にほど近く、もしもの場合の亡命もずっと容易になるはずだ。
「さすがにミーネは気丈です」
その報告を読んだときディアルは破顔したが、聞かされた国王グスタフも姪を思って低く笑った。
「あれは幼い頃から利発だった。ブルゲンフェルトでもうまくやれると見込んだが、その通りだったようだ」
「ええ。おかげで一家は国境近くへ移動できたわけです。万一の際の活路も開きやすいでしょう」
アンゼルム公の一家が政変に巻き込まれ、ローゼンベルク王の姪であるミーネにもしものことがあれば、国同士の戦争にも発展しかねない。
それは何としても避けねばならぬ事態だった。
「ミーネはそのあたりもよく心得ています。頼もしい限りです」
「ああ、まったくだ・・・しかしあのミーネの向こうを張るとは、公も相当な人物のようだな」
父王の言葉にディアルは思わず笑う。
「アンゼルム公はいずれおまえの好敵手になるやもしれぬぞ」
「ええ、そうですね。彼がこの事態をうまく乗り切れれば・・・」
ディアルはそう答え、いつか訪れる自分の治世にしばし思いを馳せた
「この件は急ぎマティアスにも知らせるがよい。ミーネ一家が亡命の場合、以前の計画とは別の経路を通ってこようゆえ」
「はい・・・それからもう一つ、ブルゲンフェルトから驚くような申し入れが」
「なんだ?」
「隣国王の庶子の一人、ハイシュ伯爵テオから結婚の申し込みです。相手はシエーヌの領主、ナターリエ」
「なに・・・?」
さすがの国王も呆気にとられる。
「ハイシュ伯爵はシエーヌと国境を接する地の領主です。結婚を口実に、シエーヌをブルゲンフェルト側に飲み込むのが狙いかと」
「ふむ・・・」
国王は執務室の壁に掲げられた地図に目をやり、ため息をついた。
「馬鹿げた縁談だが・・・言下に退けるのも得策ではないかもしれぬ。いま申し込んできたのには何かわけがあるのだろうから」
「ええ。ではこの件は・・・」
「適当に返事を引き伸ばしておくがよい。のらりくらりとな」
国王はいったん言葉を切って続けた。
「この件についてもマティアスに知らせを。ハイシュ伯爵がシエーヌになにか仕掛けてくるかも知れぬ」
「はい」
ディアルは答え、その他こまごまの報告を終えて執務室を辞した。
まったく、次から次へと思わぬことが起こるものだ。
ディアルは内心ぼやいたが、ナターリエへの縁談についてはもちろんマティアスに知らせるつもりだ。
あいつはいまだにナターリエの結婚条件を知らせてこず、かといって彼女に求婚するでもない。
いかに過去の傷が痛むからとて、なんたる煮え切らなさか。
あちこちから突ついてせいぜい苛立たせてやるさ。
ディアルは書斎の机に戻るや、腕をふるってマティアスへの手紙をしたため始めた。