晴明 6
窓の外に花火が上がり始め、広間の人々は歓声を上げた。
「まあ、見て!」
新婦のクリスティーネが夫のリヒャルトに驚きの声をかける。
「これは我々からの祝いだ。二人に祝福を」
花火の合間にディアルが言い、アルメリーアも言葉を継いだ。「お二人が末長く睦まじくありますように」
クリスティーネは感極まってふたたび泣き出し、リヒャルトはそんな新妻を抱きしめた。
新郎新婦の両親も感にたえぬ表情を浮かべ、客たちは拍手を送る。
「きれい・・・」
次々と上がる花火にナターリエは魅了され、隣のマティアスも興深く眺めた。
派手な奴めとディアルに内心思いはするが、しかしじつに従兄弟らしい趣向だ。
中空にはぜる光は見る者を高揚させ、体に響く破裂音とともに皆に強烈な印象を残す。
無邪気に花火に見惚れていたナターリエだが、次第に心にさまざまな感情が交錯しはじめた。
今夜は皆が幸せに満ちているようだ。
父と母はこんな夜を見たことがあっただろうか。
自分がクリスティーネのようだったら両親の人生は違っていたのか。
けれど、二人はもうどんな夜空も見ることはないのだ・・・・・・。
ナターリエは震え、目からは大粒の涙が溢れ出した。
こんな時にと思ってもこらえきれない。
はっと気づいたマティアスは、誰にも見られないよう彼女を腕の中に隠した。
人々が花火に夢中なのを幸い、彼女を連れて隣の空き部屋へと抜け出す。
閉じたドアの後ろで泣きじゃくる彼女を抱き寄せた。
ナターリエは両手で顔を覆い、声を殺して肩を震わせる。
マティアスは彼女をいたわしく思った。やはりまだ早かったのかもしれない。
花火は夜空に上がり続け、静まり返った暗い部屋へも音と光を投げかける。
腕の中の彼女はか弱くて、小さな嗚咽と涙とが彼の胸を湿らせる。
小声で慰めながら彼女の髪を撫でると、かすかな甘い香りが彼の鼻腔をくすぐった。
彼女は危なっかしい、そう評したディアルの言葉をマティアスは思い出す。
その通り、確かに危ない。もし今自分がその気になれば・・・。
マティアスは視界の隅の長椅子を強く意識した。
「・・・ごめんなさい、私・・・」
花火がやんで隣室の音楽がふたたび始まる頃、ようやく落ち着いた彼女がかすれた声で口にした。
「・・・謝らなくていい」彼女を腕に抱いたまま低い声で答える。
涙と疲労のなかにナターリエはぼんやりと漂っていた。
早く離れねばと思うが、彼はじっと抱いてくれている。
もう少しだけこのままでいたい。彼のぬくもりに守られていたい・・・。
「私が娘でなく息子だったら・・・両親は今も生きていたかも・・・」
誰にも言えなかった思いが自然とこぼれ出る。
「私は何の役にも立てなかった・・・」
自分を虐げた両親のために彼女は自分を責めている。マティアスは彼女を抱く腕に力を込めた。
「・・・愚かなのは彼らの方ですよ。あなたの価値がわからなかったのだから」
マティアスにも覚えのある感情だ。子供の頃の彼は、両親の冷ややかさはすべて自分のせいだと思っていた。
両親に恋人を奪われた後でさえ、その思いはしつこく付きまとった。なにもかも、自分の努力が足りなかったせいかと。
「保証しますがね、あなたが息子だろうと娘だろうとご両親は変わりませんでしたよ。あなたのせいではない」
そっと体を離し、彼女の頬に残る涙を指で拭ってやる。
「ゲオルグのこともそうだ。奴がああいうことをしたのは、ああいう人間だからですよ。あなたのせいではないのです」
自分を見上げるナターリエの涙に濡れた瞳。
妙なことは言うな、するな。マティアスは強く自分を戒める。
彼女は傷ついていて重責を担う身、対する自分は誰とも深い関わりを持たず、しかも彼女を庇護すべき立場だ。
「・・・気がかりですね。私は明日にもシエーヌに発たねばならないのに」
「え・・・」
突然知らされた事実にナターリエは当惑する。マティアスがいなくなる?そんなに急に・・・。
「本格的に雪が降り出す前に戻らないと。留守のままでは管理者の任を果たせませんからね」
そうだった。彼は国王の命でシエーヌの管理を務める身、そしてアーベルに頼まれて自分のエスコートを務めた身なのだ。
それなのに・・・また愚かな夢を見てしまったのだろうか。
「・・・シエーヌの冬はここより厳しゅうございます。お体をおいといください」ナターリエは後ずさりしてつぶやく。
マティアスには彼女が傷つき、それを隠そうとしているのが感じられた。
だが中途半端なつながりなどない方がいい。彼女は伴侶を見つけなければならないのだ。
なに、寂しがるのも少しの間だけだ。ひとたびいい男と出会えば自分のことなどすぐに忘れて・・・。
「手紙を書きます。あなたも返事をください」おい、何を言ってるんだ。マティアスは自分の口から出た言葉に狼狽する。
「・・・でも・・・」
一瞬喜びを感じかけたナターリエはためらう。彼は自分を憐れんでいるのだろうか・・・。
「管理者と領主の手紙です。あなたは私から領地管理を学び、私はあなたからシエーヌの内情を学ぶ」
よし、なんとかそれらしい話になったぞ。マティアスは内心胸を撫で下ろした。
「猫のオスカーも気になりますしね」
その言葉にナターリエは思わず笑いを誘われるが、しかしすぐに別の不安が頭をもたげる。
「・・・私に領主など務まるのでしょうか・・・」
「ええ、もちろん」マティアスは優しく請け負う。「しかし焦らず少しずつです。お相手探しと一緒ですよ」
彼が行ってしまうのは寂しいが、繋がりを保てるとわかってナターリエはほっとした。
初めて会ったときからマティアスは自分を守ってくれた。彼の言葉なら信じられる。
これからは領地運営のことを学び、そしていつか誰かと・・・。
「私にそんなお相手が現れるのでしょうか・・・」
ナターリエはなおも自信のなさにとらわれる。
「現れないわけがない」マティアスは彼女の肩に両手を置いた。「すばらしい女性なのだから」
ナターリエの内気な笑みに笑みを返しながらも、マティアスは自分のしくじりが信じられなかった。
結果ディアルに言われた通りになってしまい、それもまた癪に障る。
だが今の彼女はあまりに心もとなく、このままでは不埒者の格好の餌食だ。
そう、これも管理者の務めだ。彼女が夫を見つけるまでの話だ。それだけだ。
マティアスはなんとか理屈をつけ、ようやく思い出したハンカチを彼女に手渡した。