王都 29
「ゲオルグは追放処分になりました。もうあなたに関わることはありません」
修道院のナターリエを訪れたマティアスはそう告げた。
「そう・・・ですの・・・」
ナターリエの胸中は複雑だった。
過去には大きな存在だった人が次々いなくなるような・・・。
「あなたが奴の誘いに応じなかったのは幸いでした。あいつの不行状にはノイラート隊長も手を焼いていて、処分は時間の問題だったのです」
それを聞いたナターリエはうつむいた。
哀れなゲオルグ。容姿にも話術にも良い主人にも恵まれていたのに。
もっと良い生き方もできたろうに・・・。
「後悔しているのですか?彼に会わなかったことを」
マティアスの問いにナターリエは小さく首を振る。
「ただ・・・何もかもがとても儚く感じられて・・・」
ゲオルグ、両親・・・彼らを追い求めていた頃を思い出す。
寂しくて苦しくて、愛を夢見ることだけが心の支えだった。
だが彼らは自分を見返ることなく行ってしまった・・・結局のところは一人相撲だったのだ。
両親を失った頃の寄る辺なさがまざまざとよみがえる。
自分はいまだに同じことをしているのだろうか?
ナターリエはふとそんな虚しさに襲われる。
手の届くはずもないマティアスを相手に・・・。
「・・・今日お伺いしたのは、あなたにこれをお渡しするためです」
マティアスは切り出し、懐から何かを取り出した。
彼がその黒い絹の包みを開くと、そこにはベーレンス家のルビーのブローチがひっそりと輝いていた。
「・・・マティアス様・・・」
我が目を疑う思いでナターリエは呟く。
「ゲオルグから押収したものです。あなたが渡したブローチに間違いありませんね?」
「は・・・はい・・・」
でもまさか・・・ナターリエは続ける言葉もない。
もう戻ることはないと諦めていたのに。触れたら消えてしまうのではないか・・・?
震える指をのばし、おそるおそるその宝を手に取る。
再びこれを目にすることができるなんて・・・。
「その道の者に鑑定させましたが、傷も取り替えられた石もないようです」
マティアスのその言葉にナターリエは泣き出した。
彼はゲオルグの件を引き受けてくれただけでなく、そこまで気を配ってくれたのか・・・。
「ええ、間違いなく我が家のブローチですわ・・・飾りのこの部分が少しだけ曲がっているでしょう?よく覚えていますもの・・・」
細い指でそう指し示すと、彼はそっと微笑んで頷いた。
子供の頃から慣れ親しんだ大切な宝。
そう・・・このブローチは上側の飾りがほんの少し非対称で、後ろの留め金を開くのにこつがあって・・・ナターリエの心にいくつもの思い出が蘇る。
幼かった頃、珍しく両親揃ってこのブローチを自分に渡してくれた。
それがしきたりだったからだが、それでも小さなナターリエは飛び上がるほどの幸福に包まれたものだ。
こんな素晴らしい宝を与えてくれたのだから、きっと両親は自分を愛してくれていると。
叶わぬ夢に懸命だった幼い自分を思い出す。
痛々しいほど盲目だったが、その必死さを今は愛おしいと思えた。
愚かさと隣り合わせの真情・・・でも、それこそが自分を生かしてくれていたのだと。
「もう二度と、見ることはできないのだと思っていました・・・」
涙をこぼしながら握りしめたブローチを胸に当てる。
「実に幸運でした・・・あなたの宝です、大切になさい」
彼女は両肩にマティアスの大きな手を感じた。
彼の手のぬくもりがナターリエの全身を息付かせる。
幸運・・・自分にとって一番の幸運は、こうしてマティアスと出会えたことだ。
涙越しに見る彼の笑顔に彼女は心を震わせる。
微笑んでいてもどこか悲しげな、彼の美しい瞳・・・。
勇気にも出しどころがある・・・テレーザの言葉を思い出す。
こんなにも彼を思っている、今のこの瞬間を逃したくない。
たとえどんなに傷ついたとしても。
「・・・このブローチはベーレンス家の宝です。取り戻してくださって、どんなに感謝してもしきれません・・・」
か細いささやきにマティアスは満足げな笑みを返す。
「でも私には・・・あなたがくださった猫のブローチの方がずっと価値があるのです。あなたという方にお会いできたことが、何にも変えがたい私の宝ですわ・・・」
彼女の言葉にマティアスは目を見開いた。