小説「光の物語」第14話 〜春 6〜

小説「光の物語」第14話 〜春 6〜

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旅の終わりを明日に控えた夕暮れ、二人は湖のほとりを歩きながら数日間の思い出にひたる。
同時に王城に待ち受けているたくさんの責務が徐々に現実味を帯びてくるのも感じていた。


「帰りたくないな」ディアルが笑いながら言う。
「私も・・・ずっとここにいたいですわ」彼の腕に寄り添うアルメリーアも答えた。「毎日が夢のようでしたわ。ここはまるで魔法のお城ですわね」
「歴代の王妃たちもそう思ったんだろうね。ここは代々王妃の隠れ家になってきた城なんだよ」
「まあ・・・」


初めて聞く話に興味を示す彼女に、ディアルは数代前の王が王妃にこの城を贈って以来、王妃の財産として受け継がれてきた話をした。
「だから、ここはいずれきみのものになるわけだ」
「素敵な伝統ですわね」
「そうだな。でも、ここに篭もってきみの憐れな夫を見捨てたりしないでくれよ」
「そんなこと・・・」ふたりは声をそろえて笑う。彼らの衣が花冷えの風をはらんで大きく揺れた。


「風が出てきたな」あおられた彼の黒髪がやわらかくなびいている。「寒くないか?」
アルメリーアが「少し」と答えると、ディアルは彼女を自分のマントの中に抱き寄せた。
風は木の葉をざわめかせ、湖畔に咲く水仙のあいだを通っていく。
彼の体温と匂いに包まれ、彼女は胸の高まりと安堵を共に感じた。


ひときわ眺めの美しい場所でしばし立ち止まる。
薄暗くかげった城が湖に反射し、空と水面とが赤く輝いている。
寄り添った体からは彼の鼓動とぬくもりが伝わってきて、アルメリーアはなぜだか涙が出そうな気がした。
彼の手に手を重ね、二人の指が絡み合う。


アルメリーアが彼を見上げると、彼もそれに気づいて視線を彼女に向ける。彼の頬や鼻筋を照らす夕映えの光が彼女の心を震わせる。
彼は微笑んで彼女の額にキスをした。
目を閉じた彼女の瞼から涙が一粒こぼれ落ちる。


顔を上げた彼が彼女の涙に気づいてはっとする。
アルメリーアは目を閉じてうつむき、静かに涙を流している。
狼狽えたディアルがなにか言おうとしたそのとき、彼女は瞳を開き、彼を見上げてささやいた。「あなたを愛しています」


その瞬間の彼の無防備な表情を、彼女は一生忘れないと思った。それから少しずつ彼の顔に広がった、夢見るような表情を。
彼は彼女の頬をつたう涙を指でやさしくなぞり、顔を覗き込む。「もう一度言ってくれ」と、腕の中の彼女にだけ聞こえる声で言った。
「あなたを愛しています」彼女もささやき声で繰り返した。
「もう一度」
「愛しています」
「もう一度・・・」


繰り返す愛の言葉は、やがてキスに飲み込まれた。
風が木々の枝を揺らし、湖面に波を立てたが、寒さなど少しも感じなかった。
黄昏の中、二人はいつまでもキスを続けた。
昼と夜が溶け合うその瞬間、世界にはただ二人だけだった。