番外編 バラ園
「今年も咲いたね」
春のある日、見頃のバラ園を並んで歩く妻にディアルは話しかける。
「ええ・・・きれいに咲いてくれたわ。嬉しいこと」
結婚の記念に夫に贈られたこのバラ園は彼女にとって大切な宝物だった。
ここでバラを見るのももう三度目になる。
「初めてあなたとお会いしたのもここでしたわね。懐かしいわ」
アルメリーアは故郷からこの国へと嫁いできた頃を思い出す。
対面のためにこのバラ園で待っていた彼が、自分を見てはっとした様子を。
こちらに向けられた青い瞳は深く、あたたかく包み込むような優しい光を放っていた。
それを見た瞬間、彼に似た瞳の娘がほしいとなぜか自分は思ったのだった。
「そうだな」
ディアルもその日のことは鮮明に覚えている。
淡い水色のドレスを着て現れた彼女。
微笑みをたたえた緑の瞳はあたりを優しさで照らすようだった。
その美しさは肖像画でも目にしていたが、実物の彼女の優美な慕わしさは一瞬で彼を虜にした。
「私の好きな色のバラを渡してくださったのよ。おぼえてらして?」
実のところ花に興味のないディアルをアルメリーアは優しくからかう。
「ああ、もちろん。私が最も風流らしかった瞬間だからな」
彼の答えに彼女は軽やかな笑い声をたてた。
「婚礼の前日にはばあやに叱られてしまったね。ばあやは覚えてるかな?」
二人に従って歩くばあやにディアルは笑み混じりに尋ねる。
アルメリーアにぞっこんになったディアルはつい彼女にキスしてしまい、婚礼前に不届きだとばあやは激怒したのだった。
「まあ、殿下が覚えておいでとは・・・その節はまことにご無礼を・・・」
恐縮するばあやは、手塩にかけた姫君の幸福を無上の喜びとしていた。
あのときは悪童とも思った王子だが、こんなにも姫を大切にしてくれるとは・・・。
「いや、きみのおかげで今のアルメリーアがあるわけだ。彼女を素晴らしい女性に育ててくれて感謝するよ」
先日アルメリーアの家庭の話を聞いたディアルは、ばあやにそう伝えたい思いだった。
ばあやの揺るがぬ愛情あってこそ妻はいまのような女性になりえたのかもしれない。
「まあ、なんと・・・もったいないお言葉・・・」
長年の忠節をねぎらわれたばあやは感激して涙ぐんだ。
「花はいいものだね」
東屋のベンチにかけて色とりどりのバラを見やり、ディアルは口にした。
「あら、花がお好きにおなりなの?」
からかう彼女をディアルは笑って引き寄せる。
「これまでだって別に嫌いじゃないさ。とくに見ようとは思わなかっただけでね」
だが妻と出会って以来、花は彼の生活の一部になっていた。
「花は毎年繰り返し咲く・・・そこが一番いいところかもしれないな」
彼女とともに見る三度目の花。
花が咲くたびにこれまでの思い出を語り合い、これからの未来に思いを馳せることができる。
こうしてともに笑い、互いの存在にぬくもりながら。
その考えに彼の心は満たされたが、同時に別の思いも立ち現れた。
「母上は藤の花が好きだった・・・マティアスもそうだが」
「王妃様と、マティアス様が・・・?」
「ああ。花の頃にはよく一緒に見に行ったよ。私は犬と遊ぶほうが好みだったがね」
アルメリーアはその言葉にくすくす笑う。
「マティアスは藤の花に思い出があるらしい。きっと咲くたび思い出しているんだろうな」
詳しく聞いたことはないが、いい記憶であることをディアルは願った。
「そう・・・亡くなられた恋人とのことかしら・・・」
それを思うと切ないものの、紫の房を垂らす繊細な花はマティアスに似合う気もした。
「きみには元気でいてほしいよ。元気で、私より長生きしてほしい」
唐突にも思える彼の言葉の理由はしかしよくわかり、アルメリーアは無言で彼の肩に頭をつけた。
ディアルは恋人を亡くしたマティアスと、妻を亡くした父のことを思っているのだ。
突然に愛する人を失う苦しみとはいかばかりか・・・。
「私もあなたには元気でいてほしいわ・・・私を置いていったりしないで、お願い」
愛おしさがこみ上げ、彼は彼女の頬に唇をつけた。
「じゃあ、二人で元気に長生きしよう」
「一緒に?」
見上げた彼の青い瞳は、初めて会った時と同じようにやわらかな光をたたえていた。
「そう。長生きしすぎてお互いうっとうしく思うほど」
彼女は微笑み、甘えるように夫の首に頬をすり寄せた。
「約束よ」
ささやく彼女をディアルはそっと抱きしめた。
遠巻きに控える女官たちのなかに、彼らの睦まじさを嬉しげに見守るばあやが見えた。
彼は私だけでなく、私の大切なばあやも幸せにしてくれている・・・アルメリーアはそう思う。
私ももっと彼を、そして彼の大切な人々を幸せにしたい。
馥郁たる花の香のなか、二人ははじまりのバラ園を静かに見つめていた。