小説「光の物語」第158話 〜転変 14 〜

小説「光の物語」第158話 〜転変 14 〜

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転変 14

従姉妹ミーネの亡命がいよいよ現実味を帯びてきた。
その知らせをディアルから受け取り、マティアスは気を引き締める。


隣国ブルゲンフェルトからのミーネ一家の亡命経路はすでに計画されている。
隣接するこのシエーヌを通ることになるが、さしあたっての問題は一家が無事に国境まで辿り着けるか、そして隣国がこちらに手出しをしてくるかだ。
それにミーネの夫のアンゼルム公はどう反応するだろう。
有力者の矜持も野心もあるだろう彼は、妻の故国に身を寄せることをよしとするだろうか?


子供時代のミーネを思い出す。
明るく気のいい彼女は口も達者で、なかなかの仕切り屋だった。
今もあの調子でいるならば、案外あっさり亡命してくるかもしれんな。
そう考えてマティアスは独り笑いする。


が、その笑みは手紙の結びに記された用件を見るなりかき消えた。
ディアルは記している。
『シエーヌ領主ナターリエ嬢の縁談を進めるため、結婚交渉の条件が必要だ。
そちらの家臣と協議の上まとめて知らせるよう。
彼女は領主のつとめとして、早期の婚約とシエーヌへの帰還を望んでいる。
この時期に民に寄り添うことを願う彼女は殊勝と言うべきであろう。
彼女の夫になる男は幸運だ』


マティアスは激しい苛立ちを覚えたが、愚かな反応なのは自分でもわかっていた。
領主であるナターリエはしかるべき相手と結婚しなければならない。
彼女は自分に心を捧げてくれたが、過去に囚われた自分は彼女に応えられない。
ならば自分がすべきことはただ一つ、彼女の結婚準備を整えてやることだけだ。
それが道理だとは思うのだが・・・。
マティアスはペンを手に取ってこねくり回す。


しかし隣国の脅威が迫るこの地に戻りたがるとは、ナターリエの心意気は見上げたものだ。
か弱く見えてもやはり女伯爵であり、民を思う領主ということか。
マティアスの胸は奇妙な誇らしさで満たされるが、それも馬鹿げたことだと思う。
自分などに賞賛されるまでもなく、彼女はすでに前を向いているのだ。


そう・・・彼女は私よりよほど立派だ。
己の心をもてあまし、マティアスはそう自嘲した。



「ナターリエ様の結婚交渉、ですか・・・」
マティアスに告げられた家令は驚きの表情を浮かべた。
「そうだ。別に意外でもなかろう。彼女はそのために王都にいるのだし・・・」
自分の言葉を内心しらじらしく思いつつマティアスは答える。
「ええ・・・ですが・・・」
「どうかしたか?」
歯切れの悪い家令の様子にマティアスは首をひねる。


「いえ・・・私も城のものたちも、皆が思っていたのです。ナターリエ様のお相手はきっとあなた様だと・・・」
思わぬ言葉にマティアスは目を丸くする。
「この地に長く滞在して管理をお務めなのも、そのおつもりだからだとばかり」


家令がそう思う理由は他にもあった。
それはマティアスとナターリエの文通・・・ただの管理報告にしては、ずいぶん頻繁に手紙が行き来していた。
それにナターリエからの手紙が届いたあとのマティアスはいつも上機嫌で、満たされた雰囲気を漂わせていた。
将来に向けてよい関係を築いているように見えたのだが。


「ばかな・・・私がこの地にいるのは、陛下から管理を任されたからだ」
マティアスは少なからずうろたえて答える。
「ええ。ですが、今では皆があなた様を慕っております。シエーヌにとってなくてはならぬ方だと」
家令は長い髭の奥に笑みを浮かべた。


マティアスの手腕は今では皆が認めるところだった。
だがそれ以上に、彼の人柄は市井の人々から広く愛されていた。
マティアスが城の使用人や子どもたちから慕われるさまは、ナターリエのそれとどこか似通っている。
そんな二人が独身となれば・・・皆が期待するのも無理からぬことだった。


「失礼いたしました。ナターリエ様の結婚交渉については、先例をもとにしかるべき案を作成いたします。財務官とも協議のうえ」
「・・・ああ、頼む」
これがナターリエのためだと思いながらも、マティアスの胸中は少しも晴れない。



ナターリエと過ごした時間を思い出す。
実務を教える合間に彼女とさまざまなことを語り合った。
シエーヌの現状や将来について、人々の暮らしについて、教育について。
彼女と話していると、セシリアと共に彼の心から失われたもの・・・未来への希望のようなものが甦る気がした。
行く先に明かりが灯されるように。


それにナターリエからの手紙・・・。
彼女はシエーヌに不案内なマティアスのために細やかな話を知らせてくれた。
そのおかげで助けられた場面も多かったし、思いやりに溢れた彼女の言葉はそれだけで彼の心を温めてくれたものだ。
彼女からの便りが届いていたあの頃がマティアスは懐かしかった。


セシリアからの手紙はもう二度と届くことはない・・・その事実を思うとマティアスの心は今も暗闇に迷い込む。
一隅の明かりを灯してくれたナターリエは生きているが、彼女からの手紙も途絶えてしまった・・・自分の時間が凍りついているために。


『彼女の夫になる男は幸運だ』
ふいにディアルの手紙の一節を思い出してむかっとくる。
あれはあいつのいつものやり口なのだ。あの夜会のダンスの時と同じ。嫌ったらしくこちらを挑発して・・・二度も乗せられてなるか。


そうは思っても、マティアスの葛藤は消えなかった。
私は幸運を逃そうとしているのか?
とんでもない過ちを犯しているのだろうか?
マティアスの頭からはその問いが離れないのだった。