小説「光の物語」第162話 〜転変 18 〜

小説「光の物語」第162話 〜転変 18 〜

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転変 18

「ナターリエ殿からの手紙?」
マティアスは家令の言葉に耳をそば立てる。
ナターリエの言葉に答えられなかったあの時以来、彼女からマティアスへの手紙は途絶えていた。


「ええ・・・一刻も早くシエーヌに戻られたいご様子で」
案じ顔の家令にマティアスは複雑な思いを抱く。
自分でも情けないが、彼女からの手紙が届く家令に嫉妬しているのだ。
「他にはなんと?」


「ご縁談を進めておられるとのことです。話がまとまればこちらに戻れるからと」
「・・・そうか。相手は?」
「なんでもシュレマー伯爵家のご次男とか・・・」
シュレマー伯爵家といえば、騎士見習いのパトリック少年の実家だ。
ナターリエの結婚がいよいよ現実味を帯びてきたことにマティアスは苛立つ。


「どんな男だ?」
「はあ・・・ナターリエ様とはお歳も近いらしく」
「性格は?」
「べ、勉強熱心な方だそうで・・・」
「それだけか?」
矢継ぎ早に尋ねるマティアスに家令は困惑の表情を浮かべ、気づいたマティアスは口をつぐんで体の向きを変えた。


「・・・彼女の結婚はこの地の重大事だからな。特に今は隣国からのおかしな縁談もあるし」
「その件ですが・・・」
家令は遠慮がちに口にする。
「シエーヌの民にとり隣国は忌むべき仇敵、縁談に賛成する者などおりますまい・・・実際、結婚条件の協議すら出来ぬありさまでして」
「出来ぬとは?」
「官吏も重臣たちも出席を拒んでいるのです。隣国王の庶子が相手などもってのほかと」
「なるほど」
「それに国王陛下も、よもやお認めにはならぬのでは?隣国の狙いはあまりに見え透いております」
「ああ、そうは思うがな・・・」


まさかディアルが自分を焚きつけているのだとは家令には言えまい。
「無下に断ってはさすがに角が立つからな。外交上の配慮というところだろう」
マティアスは家令を安心させるようそう言うにとどめる。
「だが状況はよくわかった。シエーヌの民心を国王陛下によくお伝えしておこう。もちろん、王子殿下にもな」



ナターリエはエルマーから返事が届いたことに驚いていた。
医学についての話題をひねり出して手紙を書き送ったものの、勉学に熱中の彼は取り合わないかもと思っていたのだ。
届いた手紙には簡単な挨拶と、それから医学に対する彼の並々ならぬ情熱が綴られていた。
とくにナターリエのいる王立修道院の蔵書について熱く語られており、本が好きなナターリエはその点に共感を覚えた。
みみずののたくったような彼の字を読むのには難儀したものの・・・。


「どう思って?」
尋ねられたテレーザは頭を振る。
「さあ・・・まだはじめの一通でございますものね」
だがエルマーの手紙はほとんど医学に関することで、ナターリエとの縁談について前向きなのかは謎だ。
もしかしたら両親に言い含められて返事をよこしただけかもしれない。
手紙を交わすうちに彼の真意がわかればよいのだが。


「この件で一番大事なのは、あなた様がどうお思いになるかですわ・・・いかにエルマー様が条件にぴったりの方でも、無理に気に入ろうとはなさいますな」
「でも、早くシエーヌに戻りたいの・・・」
隣国の脅威にさらされる民の元に戻り、ともに過ごしたい。
それが領主である自分の務めとナターリエは感じていた。


「こんな時に皆から離れているなんて・・・それにシエーヌのことをマティアス様に任せきりにしてしまって」
「ナターリエ様・・・」
普段はおとなしいナターリエの思いにテレーザは感じ入る。


「本当は今すぐシエーヌに戻りたいわ。縁談なんて後回しにして・・・」
「まあ、ナターリエ様、あまり思い詰めなさいませんように」
テレーザは若き主人の背に手を当てる。
「今この時に、マティアス様がシエーヌにいらしたのは願ってもないことでしたわ。いまはあの方にお任せして、あなた様はご自身の務めを果たされませ。決して焦らずに・・・」
自分を励ましてくれるテレーザに感謝しつつ、ナターリエは危機の迫るシエーヌと、その地にいるマティアスへの思いに胸を痛めていた。



ディアルとアルメリーアは多忙を極めていた。
ブルゲンフェルトの脅威で民衆を動揺させないため、各地を訪問して演説する。
美しく睦まじく有能な王子夫妻はどこでも大人気で、その効果は絶大だった。


また、ディアルは軍の関係者たちの激励にも努めていた。
軍人や兵士たち、軍工廠の職人たち・・・方々を飛び回っては皆と言葉を交わす。
砲兵隊の教練所では監督のエクスラーとも顔を合わせた。


「教練が終了した者から、順次各地の部隊に配属します」
進み具合を聞かされたディアルは頷いた。
「駆け足でしたが、必要な知識は身につけさせました。あとは実地で学ぶしかありますまい」
「ああ。だがもと砲兵隊長のきみから直に学べたんだ。彼らが得たものは大きかろう」
砲兵隊の増強は国防上の急務であり、そのために隠居から復帰したエクスラーをディアルはねぎらった。


「それにしても、急に新婚の教練生が増えましてな・・・おかげで兵士の配属先に頭を悩ませております」
笑い混じりのエクスラーにディアルも微笑む。
結婚件数の増加に伴い、手続きを簡素化することを先日協議で認めたばかりだったからだ。
戦が迫ると結婚が増えるのは昔からよくあることだと、その席で法務官は話していた。
誰もが実は明日をも知れぬ身・・・死の脅威が迫った時、初めてそれに気づくものなのだろう。
不意にディアルは母を亡くした時のことを思い出した。


「・・・しかし、あるいは急ぎ損になるかもしれないぞ。ブルゲンフェルトの新たな王太子も順当に決まったことだし、結局何事も起こらぬかもだ」
感傷的な思いを振り払うように、そう茶化してディアルは笑う。
「なれば祝着でございますが、前王太子の支持者たちがこのまま収まるとは・・・」
「確かにな・・・」


担ぐ頭を失った彼らは新王太子の取り巻きに権力を奪われ、不遇な時を過ごすことになろう。
命の危険さえあるかもしれない。
前王太子の死さえなければ権力の中枢にいたはずの彼らが、そんな境遇に甘んじるとは考え難かった。


ディアルは北方の空を眺め、隣国からの暴風をしのぎ切ると心に誓った。