小説「光の物語」第148話 〜転変 4 〜

小説「光の物語」第148話 〜転変 4 〜

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転変 4

ナターリエはつとめていつも通りに振る舞っていた。
隣国の政変が故郷であるシエーヌに悪影響を及ぼすかもしれない。
その事実に動揺はするものの、取り乱すことなくただ淡々と日課をこなす。
だが彼女をよく知るテレーザには、ナターリエの無表情な静けさが不自然に感じられていた。


「何かお悩みがおありなのでは・・・?」
ある晩、居室に落ち着いたナターリエにテレーザはそっと尋ねた。
年若き主人を悩ませているのは故郷の安全か、それともその地を守るマティアスか?
土足で踏み込む気はないが、できることなら話してほしい。
苦しみを内に秘めるナターリエだけに、なおさら。


ナターリエは小さく苦笑する。
「いやだわ。普通にしているつもりなのに・・・」
笑みを浮かべはしているが、その表情も声もどこか悲しげなのだった。


「シエーヌのことがご心配で?」
テレーザは水を向けてみるが、気になることは他にもあった。
ナターリエのこの風情は先日のマティアスの訪問以降だ。
彼との間に何かあったのだろうか?
あの日テレーザが涙するナターリエから聞いたのは、家宝のブローチが戻ったことだけだったが・・・。


「ええ、もちろん・・・きっとみんな不安がっているわ。早く戻らないと・・・」
そう答えるナターリエの眼差しには、領主としての責任感と故郷の人々への思いが現れていた。
「そのためにも・・・早く身を固めないといけないわね・・・」
ぽつりと呟くナターリエにテレーザは重ねて尋ねる。



「マティアス様と・・・何かおありでしたか?」
その問いにナターリエの瞳は切なさを増した。
「何もないわ・・・」
かすかに顔をそむけて囁く、その瞳から涙が一粒こぼれ落ちる。
「まあ、ナターリエ様・・・」
テレーザはそんなナターリエの背を優しくさすって慰めた。


「・・・泣くなんて馬鹿ね・・・」
しばらくすすり泣いたあと、ナターリエは自嘲気味に口にする。
「一体、何がおありになったのです・・・?」
遠慮がちに聞く侍女にナターリエは小さく微笑みかけた。
「本当に何もないのよ。ただ、私が愚かだっただけ・・・」
「お気持ちをお伝えになったのですか?マティアス様は何と・・・?」


その言葉にナターリエは思わず頬を染めた。
テレーザは気付いていたのだ。
ではアーベルも、王子妃や宮廷の人々も、それに当のマティアスも・・・みんな気付いていたのだろうか?


「何も・・・ただ、とても驚いていらしたわ」
あの時のマティアスの様子・・・目を見開き、言葉もなくただ立ち尽くしていた。
どんな時も笑顔でそつのないマティアスなのに・・・。
「そこに王城からの使いが来て・・・それきり・・・」
「まああ・・・」
テレーザも思わず嘆きの声をあげる。


「あんなに困らせてしまったなんて。あの方にとっては思ってもみないことだったのね・・・」
ナターリエは目元の涙をぬぐってため息をつく。
伝えたことを後悔してはいないが、いまだにどこか力の抜けた心地なのだった。
「でも・・・しっかりしなくてはね。シエーヌの一大事なんだから・・・」
傷心を隠して気丈そうに言うナターリエをテレーザはいたましく思う。



このところの彼らは互いに思いを募らせているようだったのに。
もう少し育む時があれば、あるいは違う展開になったのだろうか?
だがもしマティアスにその気があれば、シエーヌから手紙の一つも寄越しそうなものだ。
それもないということは、結局のところ咲かない花だったのか・・・。


マティアスがどういうつもりでいるのかテレーザにはわかりようもない。
だが、ともかくナターリエには自分自身に失望してほしくなかった。
内気なナターリエが思い人に心を伝えられたとは、結果はどうあれ素晴らしいことではないか。
彼女自身にもそう思ってもらいたい。これから先の長い人生のためにも。


「・・・あの方は昔、とても辛い思いをされたのですよ」
テレーザは若き主人にそう話を切り出す。
「あの方が誰とも深く関わらないでおいでなのは、きっとそのせいですわ・・・あなた様がどうではなく、あの方自身のお心の傷ゆえ・・・」


そうしてテレーザが話してくれるマティアスの過去を、ナターリエは胸が張り裂けそうな思いで聞いたのだった。